2013年3月23日土曜日

20130323-01

ELIちゃんの展示を見に行った。


わたしの携帯はT003ピンク、二つ折りのガラパゴス携帯略してガラケーだ。スマートフォンと比べて遙かに小さいわたしの携帯待ち受けはELIちゃんの絵で、わたしは心細くなったとき、この携帯をぱかっと開く。ELIちゃんの描く絵や漫画を見ていると、心がぎゅっとしてくるしくなったり、うれしい気持ちになったり、一人じゃない感じがしてほっとしたりする、そういうときのきもちをわたしはうまく言葉にすることができなくて歯がゆいのだけど、とにかくわたしはELIちゃんのつくる世界が大好きである。


3月4月はわたしの鬼門で毎日瀕死、杉や檜や桜の花が肉体的精神的に襲いかかってくるから腰を落として姿勢を低くしなるべく声を出さぬよう、頭を抱えて季節が過ぎるのを待っているのだけどELIちゃんのおふとんシェルターにくるまったらきっといろんなことが大丈夫になるだろうなって思ったし、ELIちゃんのまねしておふとんシェルターをわたし心の中に1人と1匹用のものつくったから、この春はそれでやり過ごそうと思う。


これは前にも書いた気がするのだけど、人にはきっと例えば実の両親や粘膜で交わった恋人ですら入り込めない場所があって、知らない誰かの作ったものが砂漠に水がしみこむようにそこにすうっと入っていってなにかでいっぱいにすることがあり、つまらないわたしのたくさんの穴ぼこにはそういうものがたくさんつまっていて、だからきっと今立っていられるのだろうと思う。完璧じゃないわたしからは毎日何かがぼろぼろ剥離、村上春樹風に言うとわたしは毎日損なわれていてそして多分きっとこれはわたしだけじゃなく、そういうときの心の支えは人によって様々だけれどわたしにとってはだれかの作った歌だったりお話だったり絵だったりして、その一つであるELIちゃんの作ったものをモニタ越しじゃなく見られたことは、多分とても奇跡のようなことだと思う。


******************************************


わたしのなかの、乏しい死の記憶が、時空を歪めてまで春に収束する。正しい命日を確認することは簡単で、数年前の手帳を手繰ればすぐなのだけど色んなものの死に具体的な数字を結びつけるのが怖いから、あの子の命日は桜の季節ということにする。桜の下には死体が埋まっていて、でもわたしたちがあの子を埋葬したささやかな庭には桜の木は無く、だから東京の桜は白い。


******************************************


あらゆるものに苛立つときはきっと自分自身にいらだっているせいで、だからわたしは最近何も考えまいと努めている。カラーコード、6桁で表されるそれのきれいな組み合わせを考えたり、画像で作るより美しく軽いメニューボタンなんかについて考える。プライベートのメールボックスも最近仕事のメールで埋もれてきたからちゃんとフォルダを作って適切に仕訳、そういうことを熱心にしている。花粉症のせいで本が全く読めなくなって文章も書けないし音楽も聴けない、だからわたし今死んだも同然でだけど経済活動だけはできるから、仕事のことだけ考える。仕事があってよかったなと思う、わたし忙殺されないと、春はとくに、いけない。


******************************************


「文章が打ちにくいからスマートフォンにしたくない」と言うと「そんなにメールを打つのだね」と言われたけどわたしが打つのはこういう駄文で、それが恥ずかしかったから何もいえなかった。吐きそうになるほど甘いコーヒーが飲みたいのに目の前にあるのは適度な甘みのキャラメルラテで、ガムシロップを100個くらい足してやろうかと思ったけれどグラスから溢れてしまいそうなのでやめておく。


******************************************


昨日髪の毛黒くして、爪をピンクと灰色に塗った。何をしたって醜さが軽減しなくてげんなりする、これはわたし自身の問題だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿