2023年12月20日水曜日

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喪失がボディブローのように効いている。ああそうなんだ、まぁ好きではあるけどそこまでのめり込むほどでも、の意識だったのに今こんなに毎日悲しいのは多分音楽に付随した思い出が大きすぎるせいだ。家を飛び出して半日で決めた、絨毯どころか布団すら無い六畳一間の冷たいフローリングに寝転がって過ごした記憶、あの時付き合っていた人が誰だったかは曖昧なのに聞いた曲だけ覚えてる。あの日の私の孤独に寄り添ってくれたのは間違いなく音楽、それは決してなくなっていないのに、それを生み出した人がいなくなってしまったことがとても悲しいのは、なんというか、非常に私らしくなくて困惑している。でも今のところ毎日さみしいし悲しいよ、たとえ家族を持ったり子供を産んだり誰かと付き合ったりしても世界で自分は一人ぼっちのあの頃の感覚、それが今も変わらなくて、気持ちだけタイムスリップしちゃうからこういう錯覚をしちゃうのかな、でもやっぱり私は今のところ毎日さみしいよ。

2018年3月4日日曜日

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ハッピーエンド、バッドエンド、つまりは物語がそこで終わってしかるべき結末、の蛇足についてばかり考えている。すきなひとと結ばれたあとのお話、食器洗いやゴミ出しの役割分担でのいさかい。殺人犯が名探偵に説得され最後の殺人を犯す前に思いとどまったあとの長い長い取調べと裁判、拘留生活、殺されずに済んだ人間が数年後に忘れる罪の意識、事件にまつわるインターネット上の書き込み。現実はうんざりするほど長くてうんざりするほど雑多、物語にまつわるいろいろがわずらわしくてたまらないことを知っているから、だからわたしの人生に勝手に区切りをつけられて感想を言われると本当にうんざりする。多分誰でもそう、あの子の人生は今でも続いていて、毎日くだらない煩雑なものごとをこなしている、いやになっちゃうよね、きっとその無理矢理区切られた結末はなにかの分岐点だったりセーブポイントのようなもの、なのかもしれないけどいやになっちゃうよね。
わたしのハッピーエンド、もしくはバッドエンド、は全然まだ終わっていない、最終回の日付は決まっていてもなんにも終わっていないし終わらない。多分死なない限り物語を終わらせることはできない、わたしは死んだことがないからわかっていないだけで、もしかしたら死んでも終わらせることができないのかもしれない。うんざりする雑事、うんざりする蛇足、うんざりする人生、うんざりするわたしの人生。そしてそれが、まだしばらくは続くだろうと思っているわたしのはずかしい勘違い。

2017年7月15日土曜日

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社会不適合だなと思っていて、社会っていうのはいわゆる社会人としてとかじゃなくて人間社会って意味で、生きている資格がないっていうよりは不適合っていうのがより正確な表現で、とにかく不適合だなってめちゃくちゃ思うんだけど、じゃあどうしたらいいかもわからないしわかってもコントロールできないからただただ不適合だなって思うしかない。そうするとまわりの、数少ない一緒にいてくれる人にとても申し訳なくて、でもわたしも今生きていてエゴがあるからなにもかも手放して一人でしんどい思いをすることもできなくて、だからとりあえずダラダラ居心地のよい場所で眠ったり起きたりしているのだけれど、それでもやっぱり不適合でどうしようもない、申し訳ない気持ちばかりある。でも自分がじゃあ適合できるかというと絶対ムリで、絶対ムリって思っていること自体が甘えなのかもしれないけどどうしてもできない、ロボトミーとかしないと絶対適合できない。

誰も悪口を言わない世界、思ったとしても口に出さない世界、口に出した瞬間に排除される世界、にいけたらよいのかなと思ったけど、多分遠まわしなイヤミや自覚のない悪口のテクニックがあがりまくった世界になるんだろうなとか、多分わたしは結局どこでも不適合なんだろうなとか考えてしまってアーとなった。ネットをみてると不適合って言う人はたくさんいて、でもわたしから見たら適合しているように見えてしまう、でも逆にわたしもそう見えるんだろうなと思う。思考が多分極端になってしまっている自覚はある、でもどうしていいかわからなくてただただ自分は不適合だな、わたしが近くにいることにより周りの人が受けられるはずの恩恵みたいなものを削ってしまっているのかなとひたすら申し訳なくなる。

2017年6月3日土曜日

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これは前にも書いた気がするけれど、そしてこれを読んで同じ感じになっちゃう人がいるのが本当に怖いのであれなんだけど、なので繊細な人はここから先読まないでほしいのだけれど、比喩じゃなく息の仕方がわからなくなるときがあって、いつもどこまで息を吸っていたのか、肺に空気を入れるのはどうしたらいいのか、息も水みたいにゴクンと飲み込む必要があるんだっけ? 息を吐くときは全部吐ききらなきゃいけないんだっけ、こんなお腹に微妙に空気が残った感じで次の空気を吸っていいんだっけ、みたいなことがわからなくなるときがわりとあって、でも過呼吸やパニックになるほどでもなくて、ゆるやかに呼吸が苦しい感じがずっと続く。多分正しい対処法としては意識をそらすこと、なので、なんかリズムゲームをやったりマンガを読んだりが一番いいんだろうけど外を歩いているときやねむろうとしているときはなかなかそうもいかないから困る。ここまで書いて気付いたけれど「目をつむっているときはどこを見たらよいのだろう」という苦しさは最近ないな、思い出してしまったので今日の夜ちょっとこわい。

2017年5月20日土曜日

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どうしても、現在進行形で物理的暴力を加えられているわけではないのに弱る、ということに納得がいかない。ヨナみたいな環境に置かれているわけではないのに弱るのに納得がいかない。「ストレス」としてカウントしていい項目が、殴られる・刺される・監禁される、エトセトラエトセトラ、に準ずるもののみとなぜか制限がかけられているので、生命の危機に直結しない事柄によって弱るということが納得できなくて、それはおそらくイコール許せないで、どうしてこんな非効率的な感情をもてあましてしまうのか、生命としてバグではないのか、(他者に大してはそんなこと微塵も思わないので)自分に対して厳しすぎる自覚はあるけれどじゃあ「頑張って厳しくしないようにする」しか対処方法がなくそれができないのであればやっぱりバグじゃないのかと思っていたのだけれど、例えば電動ドライバーの連続使用制限がある、みたいな感じで仕様だと思って対処するしかないのだろうなぁと考えたら少し楽になった。「どうして連続使用したら本体が発熱してしまうんだ、発熱しないように頑張れ」って思ってたのが今までで、「連続使用したら発熱するからn分使ったらn分電源を切り本体を休ませねばならない(なぜならそれが設計上仕方のない仕様だから)」と考えようとしているのが今。
「全ての物事が(結果として)合理的で生産的であるはずだ、その意図がわからないのはわたしに理解が足りないせい、またはバグ」という思考を変えるのは難しいけれど「(人間の)感情」と「(機械やプログラムの)仕様」がイコールであると無理矢理考えると少し楽になるかもしれない。

大英博物館展を見に行ったら進化についての記述があって、今でこそ「生物は進化する」ということが当然だという認識ですが昔はそうではなく、みたいなことが書いてあった。進化論が出る前は人間は最初から現在の形でポンと生まれたと思われていたのだろうか。多分わたしの、「すべてのものごとは合理的かつ生産的であるはずだ」という認識は進化論というか進化しきってる論に基いている、現状人間は生物として完成されていて、だから全ての物事に理由があり全ての物事は考えうる最善の形になっている、と思い込んでいる。
「自分の心臓をコントロールできないのと同様に、感情もコントロールできない」と本当の意味で納得することができればもう少し楽になるのだと思う。根性論がどこかでしみついてしまっているのだろう。
ストレス値10以上でHPが減少していく、11であっても100であってもHPが減少することには変わりがない。「殴られる」はストレス値120、「睡眠時間が少ない」はストレス値12、後者は前者の1/10のストレス値だけれどどちらも10以上なのでHPは削られる、それが仕様。対処方法は継続的に考えてゆかなければならないけれど今現在は仕様なので対応方法を考える必要がある。




めちゃめちゃつらいことがあったとき、「あのときよりはまし」でいろんなことに耐えられるようになる、とポジティブに考えていたのだけれど、「あのときよりはましなのにどうしてつらく感じるのだ」と自分を責めるようになってしまった。 例えば海難事故で1ヶ月水だけでなんとか生き延びた人も、助かって通常生活に戻ってサラリーマンやって一日忙しくてごはん抜きになったらお腹空く、「事故のとき一ヶ月水しか飲めなかったんだから一日ご飯抜いたからってお腹空くのはおかしい」とはならない、多分そういうこと。

2017年4月23日日曜日

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家に帰ったら茹でたとうきびのにおいが充満していた。

人ができる当たり前のことがなんにもできない、考えようとすると頭が痛くなってしまう。2の段までならなんとかいける掛け算の3の段から全く覚えられない感じ、3かける1すらもう精神的なハードルが高すぎて拒否反応を起こしてしまう感じ、あたまではよくわかる、落ち着いて、筋道立てて、今までできていたほかのことと同じように対応するだけ、わかっているけどバリアが張られていて入れない世界みたいなんだ、他の人には全く影響しない、わたしだけを遮断するバリア。


弱肉強食よりも適者生存が正しいってどこかで見た、でもなんにも適している気がしない。人間に生まれた以上というか生物である以上多分おそらく適度に他者と協力しないと生き残れない、でもそれって生き残ることが最終目標になった場合の話で、なにがどうしようと生き残れというミッションにチャレンジしているわけではなく、例えばめちゃくちゃ苦痛の中でなんとか心臓だけ動かして生物学的に生き延びてもじゃあなにがゴールでミッションコンプリートになるのかわかんない、でもとりあえず現状いる社会に適せないのはなかなかしんどい。



好きな人は数える程度しかいなくて、でも嫌いな人も特にいないしって思ってたけど、多分好きでも嫌いでもない人は「好きでもない人」だから嫌いと同意なんだと思うわたしの場合、積極的にみんなに不幸になってほしいとは全然思ってないしはやく世界が平和になればいいのにって心から思うけど、わたしができる範囲もといしてあげられる範囲もといしてもよいとわたしが思える範囲がめちゃめちゃ狭いから、それを超えちゃうとなんにもしたくないし、「幸せになってね」って気持ちだけはあるけどわたしやわたしの好きな人の幸せや平和が阻害されるならそれ以外の人は死んでも苦しんでもいいとたぶん思ってる。



いつかを境に決定的に変わってしまったと思っていたけれど本当はずっと変わっていないのかもしれない、わたし、自分がいつからこうだったか全然わかんない。

2016年11月23日水曜日

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きゃあ、という甲高い悲鳴で目を覚ますと窓の外が騒がしかった。「あそこを右に曲がっていったわよ」「リードをつけたまま」「家へ帰ったのよ」という会話から、散歩中の犬が逃げてしまったところを想像する。目を覚ましたが目を開けずにそのまま耳をそばだてていると「車がピューって飛んできて」「自転車が」「それで驚いて」と続くので、どうやらわたしの想像は当たっていたのだなぁと思う。


図書館までの道中にたびたび青鷺を見かけるので、双眼鏡をぶら下げて家を出たがオナガガモとカルガモしかいなかった。残念な気持ちで本を返却すると司書さんに「それ、双眼鏡?」と聞かれる。現代日本で・住宅地で、こうして双眼鏡を持っているということがいらぬ誤解を招くことはないかと常々怯えているわたしはハイ、川に鳥が…と答える。
ここらには鷺がいるんです、しかもかなり大きな、と話すと司書さんは「知ってる?鷺はね」 と一人で盛り上がった。どうやらこの人も鳥が好きなのかと思って話を聞いてみるとどうやらそういうわけではなく、ただの話好きの人のようだった。しんとする図書館に彼女の声が響いていて、隣のカウンターの司書さんがじっとこちらを見ているのを感じる。どうかこのひとがあとから怒られませんように、という気持ちでわたしはいっぱいになる。


京都の鴨川には鷺がいて、じっと立ち、魚を取っている。うまい位置に陣取って一歩も動かずサッと魚を取る。位置取りに失敗した鷺は魚が取れず、魚が集まる場所を嗅ぎ分けられる鷺はそりゃもう優雅に魚を取る。その手練の鷺は、近付く他の鷺をギャアと鳴いて追い払ってしまうそうだ。

2016年11月3日木曜日

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腐ったエメラルドグリーンの川面は凪、カヌーやボートが滑るように川を下る横をわたしは逆流する。何も持たないわたしはでも確実に何かに「乗って」いて、このスピードが落ちることがあれば沈んで死んでしまう予感がある。幅広いこの川はまるで高速道路、正月やお盆の渋滞を逆行している気持ちになる。ジャングルのようだったまわりの景色も下流に向かうにつれだんだんと近代化、工事中の橋をいくつも通り水上に浮かぶ三角コーンをわたしは何本も飛び越える。気付けば頭上には電線が通っていて、それを伝うように進むとより早く移動できた。練習中の女の子のカヌーを奪い取りたくなる、わたしもあれに乗れたなら。

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向かい来る戦車の前部左右から発射される爆弾を打ち落とさなければ自分の陣地後方にいる味方がやられて前線が後退、負けが近付くからわたしは必死だ。打ち落とせて当然、のそれをだんだんと打ち落とせなくなる、爆破された後方の陣地は敵のものになり、前からも後ろからも敵兵が攻めてくる。わたしは持っている銃を戦車ではなく迫りくる敵兵に向ける。10人、20人、30人と殺すけれどまるで焼け石に水、逃げようにもぐるりと囲まれていてどこにも逃げられない。でもこの窮地を招いたのは間違いなくわたしの失敗で、とりあえず目に入る敵兵を撃ち殺し続ける。


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 親戚が来たのに居間に行くのが面倒で自室にこもっていた。拾ってきた子猫を弟が逃がしそうになるから必死で捕まえると指を全力で引っかかれ、噛まれた。でもそんなことよりこの子が外に逃げてしまい、他の犬やカラスにやられてしまわなくてよかった。
なにかひどいことをおばあちゃんにしてしまった気がする。とりなしたくて呼びかけるけれどもトイレに入ってしまったおばあちゃんからは返事がなく、わたしは永遠に彼女が出てくるのを寒い廊下で待つ。

2016年10月9日日曜日

20161009-03

おそろしい夢しか見なかった、ふと「何を書いてもよいのだ」と思い心強くなった。自由を奪われるマンガを読んだ、わたしはああいう暮らしをしていた、と思う。逃れても、色濃く影響は残る。

意識を自由に落とせないのならどうでもよい情報を常に垂れ流さなければならない。いろんなことを頭から追い出して脳みそをどうでもよいもので満たす必要がある。
頭は「からっぽ」になんかならない、少しでも空白ができると恐ろしい考えがたちまち侵食してくる。わたしはそれを防ぐために、常にどうでもよい情報で頭の中を満たさなければならない。

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ひどい雨だけれど外に出た、増水し濁った川が恐ろしかった。駅まで行って家に帰る途中、カモが流れに逆らい水面に浮いているのを見た。ときおり首を突っ込んで餌を探していた。川沿いの細い道にはいたるところに水溜りができていて、そこでハトが三羽水遊びをしていた。カバやゾウが水遊びをするように、ハトも水遊びをするのだなぁと思った。雨の日にしか見られないものが見られたので少しうれしくなる。川は、おそろしいけれど、わりあい好きだ。

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その山はソフトクリームのような形をしていた。
うずまきのように頂上まで続いた山道と平行に川が流れており、山の裾野には中規模の港町と、海が広がっていた。
 山間の集落はこじんまりとしたもので、しかしとても平和だった。わたしたちはそこでつつましく暮らしていた。

いつもは穏やかな川は一夜にして脅威となる。台風のおかげであふれでた雨水はあっという間に山道を侵略し、車や、電柱や、家を押し流した。普段の凪からは想像もつかないような色ににごった海にはいつもの中州はすでになく、海と山の境目はなくなっていた。
山の頂上にある家まで早く帰らなければならない、家族が待っている。
わずかに残ったコンクリートの道を急ぐ。時折頭上から瓦礫が降ってきて、それをかわしながら進むのは至難の業だったが、なんとか家までたどり着き、家族と合流する。
ふと雨脚が弱まり、わたしは家族とともに海を見下ろす。曇り空なのに明るくて、押し流された港町がよく見えた。ところどころに残った頑丈であろう建物の屋上には数人の避難者がおり、みな一様に「お手上げです」とでもいうようにバンザイをしている。
海は透き通って水面はエメラルドブルーに輝いていて、わたしは「水が何もかもを押し流してきれいになったのだ」、と思う。
しかし、わたしは知っている。今は一瞬の凪であり、すぐにまた、むしろ先ほどよりもひどい嵐が来る。わたしたちはその前に、この家にとどまり続けるか、山を降りあの避難者たちに混ざるか、選ばなければならない。

20161009-01

スーパーで豚バラを買った。家に帰って取り出してみると「品名:ふたりのねこ」と書いてあった。

2016年9月18日日曜日

20160918-01

全国の女の子に言いたいのは忙しくて連絡ができない彼氏の連絡ができない理由っていうのはあなたの優先度が低いだけですよということ、長年生きてきてようやくわかってきたし連絡ができないイコールそれが答えというのもようやっとわかってきたというか自分もそれをやられるだけではなくやったりすることによって実感したのであった。22歳の春。
惨めな恋愛ばかりしていた高校時代のわたしに今すぐ伝えてあげたいくらいだけれど、多分伝えてもわかりっこないだろうから、もしわたしが今タイムスリップできるようになったとしても、彼女のことはほうっておくしかないのだろう。

20160917-01

「百万円あったらなにをする?」と聞くとすぐに「きみにぜんぶあげる」と返ってくる、彼は一事が万事この調子だ。おいしい料理を食べても、人からもらった気のきいたお土産も、なにもかもをわたしにくれる。物には罪はないから、わたしはいつもそれをありがたく頂戴する。
そんなわたしを見ているだけで彼は満足だという。きみの笑顔が見られるなら、ぼくはなんだって差し出すよ、と。
ほんとうにほしいものはなにもくれないくせに。